人間はなぜ、選べるのか

選ぶ。
簡単に選べない、決めれないことがある。
普段意識しないですることだけに、
決められない、というときに人は戸惑う。
すべを知らないのだ。
無意識にできていることを、手順立てやろうとすると。



どうして人は選べるのか。


これは、実はクリエイティビティーと深い関係があるのではないかと、
最近思う。


モデルを考えて思考を展開しよう。


要素がある。それが集合をなしている。
それらの間に”距離”を導入する。
ユークリッド幾何学であれば、簡単な座標の差の自乗の和を、ルートする。これが距離。
距離の定義はそうとばかりともいえない。
また集合が数字でない場合も、距離を定義する方法を設定して距離空間にすることはできる。
たとえば、歌を周波数で分解し、歌同士の周波数分布の類似性の高さを計算することができる。
これを距離とすれば、歌の集合のなかで、これは距離をもった空間となる。

一般的には、歌同士が似た印象をもつものが距離的に近いと考えたい。
これは距離の定義式によってかわるので、必ずしもそうとはいえない。
いろんな距離の定義が存在しえる中で、
人間の感性に近い定義式は、距離空間として人間感性にちかいものだった、として
有用性が高い。


さて、集合と距離概念。それから人間感性との近さと有益さ。まで述べたところで、
イデアを評価する。これがいいな、と選ぶ。ということを考えたい。


素敵な絵画を見たとき、いいなとおもう。
クールな文房具を見たとき、ほしいとおもう。
住みたくなる家をみると、ほしくなる。


人間は演算をしなくても、ほしいな、と選べるのだ。


それは、ある種こういうことではないか。


その人の頭の中に、「絵の素敵なものはこれ(イメージレベル)」があり、その感性に近い演算式によって、人生でである絵がどれほど距離が近いかを判断しているのではないか。素敵な絵、にちかい距離のものは「この絵がいいなぁ」となる。


これだと生涯を通じて変わる可能性がある。それは実態に合う。




イデアの選択もそうだ。

イデアを選ぶことができるのは
「いいアイデアはこういうものである」というのがあって
そことの距離感を測っている。
だから、人はアイデアを選ぶことができる。




人が選べるのはそういう距離空間をもって価値判断をするからであろう。





なお、はじめに価値軸を決めてから選ぶ、という方法もある。
シンプルで再現性のたかい方法だ。
しかし、感性重視の時代にはそればかりでもまずいかもしれない。




人間が選べるのはなぜか、そこに深い示唆がある。